祭りの日

祭りの日

縁日

昔から伝わっている神社仏閣で行われる年間行事の「縁日」は素晴らしい日本特有の文化であり、誇りでもあります。

私は日本に生まれ育ち、今までに身近に五感で体験できた幸せに心から感謝しています。

時代は変われど、厄除けや家内安全、身体健全、心願成就、商売繁盛、交通安全、諸々の平安を祈願する人々の心には変わりはありません。

初詣を始め、「縁日」の日には参拝に馳せ参じた老いも若きも男女幼子の誰もが、明日への希望と幸せを祈り合掌します。

「縁日」の日、心が一つになっている人々の姿は、荘厳な神社仏閣の中に、活き活きとして愛や笑顔が溢れ、辺りの空気感までが普段と異なり、清清しく平和な雰囲気に包まれて、 私は、いつも心の引き締まる思いで、その光景を緊張しながら撮影しました。

七五三、えびす講など神社仏閣で行われる「縁日」ともなると、楽しみの少なかったこの時代は、大人も子供も待ってましたとばかりに、こぞつてお参りに出掛けました。

神社での祭事や基よりですが、子供たちが待っていた楽しみは、縁日になると必ず並ぶ露店でした。

おもちゃ屋をはじめ、まだまだ商店の数少ない時代です。

現在のように、都会のみならず地方までも大型店が軒を並べ、どこも溢れるような商品の山です。

そしてインターネットや携帯電話などで、大人も子供も、いつでも何処でも、欲しい時に、欲しいだけ、好きな物が、一年中通して買える現代の若い人達や子供達には、きっと信じてもらえないかもしれません。

festival109txtしかし、昭和30年代の頃といえば、戦後10年、まだまだ貧しく質素な毎日の時代でした。

珍しい商品を集めて、縁日に集まる人に商いをするために色々な商人たちが、露店に出店して、縁日のみの店開きをしていたのです。

お面や風船売りも珍しいものでした。

べっこう飴、金太郎飴、そして飴細工やわた飴の売り場には子供たちが目を輝かせて集まりました。

色とりどりの金平糖、豆菓子、みそおでんに蒸かし饅頭などずらりと並ぶ露店の前で、 おやつといえば、蒸かし芋か残りご飯でお母さんやあばあちゃんが作ったお焼きがやっとの時代でしたから、それはもう夢のような嬉しい日でした。

その中でも上州名物焼きまんじゅうは大人気でした。

今でも私は大好きです。

長い竹串に刺さった焼きたての焼きまんじゅうを、ふうふうしながら食べるのは最高!でした。

こうじを人肌くらいの温度で仕込んだ元種に上質の小麦粉を混ぜて練り上げ、生地を蒸して竹串に刺し、糖分を加えた味噌を塗って炭火でこんがりと焼くのです。

その焼き上がった熱々の焼きまんじゅうを口に入れると、口の中でふあ~と独特の香りが広がって、甘じょっぱいみそ味がなんとも美味しいのです。

お祭りや縁日には欠かせない江戸時代から伝わった上州の風物詩でした。

並んで順番待ちをしている時も、じ~っと焼けるのを辛抱強く待ちながら、美味しそうなあのこんがりと香ばしい味噌の香りが漂い、益々食欲をそそり、お腹がぐうぐう鳴り出しそうでした。

焼きまんじゅうを得意そうに持ってる子、ふうふうしながら夢中で食べてる子、ほっぺにお味噌をつけたまま楽しそうに遊んでいる子どもたちもいました。

おこずかいで買ったお面やおもちゃを嬉しそうに持ってはしゃぐ子供たち!どちらを向いても楽しそうな笑顔あふれる子供たちの姿があり、「縁日」は何と言っても子供たちの天国でした。

おじいちゃんおばあちゃんにおんぶされて、どうぞこの子が無事に育ちますようにとお参りに来て、真剣に祈る姿は、縁日ならでは見られない麗しい光景でした。

ファインダーを覗いていると、家族の深い愛情がひしひしと伝わってきました。

掛け小屋でお芝居や歌謡ショウ、サーカスなどを初めて目の前にして、驚きながらどこを見ようかと迷っている微笑ましい姿はいかにも楽しそうでした。

見世物小屋では怪しげな呼び込みの人がいて、「蛇女がいるんだから、見てご覧よ!」と声かけられて「きゃ~」と慌てて逃げながら、つまずいてカメラを落としそうになったことなど、今でも縁日になると遠い記憶に残る笑い話に花が咲きます。

手相や占い師のところにはいつも大勢の人だかりが出来ていました。

質素な中にも身支度を整え、幸せを求める人が、近郷近在から溢れるように集まり、日頃静かな境内も華やぎ活気がみなぎっていました。

素朴でほのぼのとした雰囲気と緊張に包まれた「縁日」での光景に私は心が和みました。

いま振り返り思い起すと、子供たちと一緒になって大好物の焼きまんじゅうを食べたり、境内で写真屋さんの仕事ぶりを見学したり、沢山の人々との出会いに、時の経つのも忘れて撮影に没頭できる「縁日」は、あの頃の私にとって、至福の時を過ごせる優しい場所だったのかもしれません。