ドライブ

夏が過ぎ涼風と共に日増しに秋の気配が訪れるころになると、贅沢なドライブ旅行をさせてもらったことを思い出します。

私の家のすぐ近くに私の両親も近所の人たちも「働き者で、美人で、明るくて素晴らしいお嫁さん!」と絶賛している侑子さんという素敵な人がいました。

憧れのその人は、一人っ子の私を妹のように可愛がってくれました。

私も姉の様に慕って、嬉しくて毎日のように学校帰りには「ただいま!」と侑子さんが店番しているたばこ屋さんに立ち寄って、あれやこれやとお話してから、家に帰ることが日課となりました。

そのことを子供のいない侑子さんはとても喜んでくれました。

山形県の酒田市から桐生の材木やさんに嫁いできた侑子さんは、写真家を目指していた私のトテモ良い理解者の一人でもありました。

「写真家の土門拳は私と同じ酒田なんだよ!」というのが自慢でした。

そして、目を輝かせて色々と故郷のことを懐かしそうに思い出しながら、お国なまりの独特な口調で話してくれたのです。

私は、行ったこともない酒田での暮らしや憧れの巨匠の話など聞いて、その度に興奮してしまいました。

私の写真が入選した時などは自分のことのように喜び、「利江ちゃんも頑張って、絶対に夢を叶えるんだよ!」と私の写した写真を見ては激励してくれました。

故郷にも当時は、酒田は遠くて余り帰えれない侑子さんは「たまには一緒にどこかへ行きたいね!」というのが会うたびの口癖でした。

そして、昭和32年10月16日、秋晴れの行楽日和に恵まれた日に、やっとその夢は叶いました。

侑子さんは、タクシー会社から、運転手付で一日車を貸切、義妹の美代さん、そして私と私の同級生の美代子さんを誘って、浅間高原に連れて行ってくれたのです。

自家用車などまだ、ほんの一握りの時代でしたから、ピカピカの高級車に乗るだけでも大興奮!でした。

思いがけない女4人のドライブ!に車の中ではもう嬉しくて、大喜び!の連続でした。

子供のようにわいわいと大はしゃぎ!の姿には、若い運転手さんもたじたじの様子でした。

浅間山の姿が美しく見えてくると口々にきゃあきゃあ!と賑やかで、今にも心が躍りだしそうでした。

砂煙を上げながら走ってくるバスの姿を見て♪田舎のバスはおんぼろ車、でこぼこ道をがたごと走る♪と皆して歌い、バスを見送った後、砂埃をかぶって大爆笑!したり 記念撮影タイムでは、私がカメラを構えるたびに「浅間山に負けないように、綺麗にしっかり写してよ!」とか「こんなポーズどう?」などと言いながら、笑って、笑って、笑いころげるほど、楽しくて、はしゃいでいました。

ファインダーをのぞくと、皆の清清しい笑顔が一段と美しく輝き、私は何だか夢をみているようでした。

小学校の遠足の時に来た時の鬼押し出しは、不気味な怖い印象のところでしたが、この時はごろごろした黒く異様な溶岩も、私たちの熱気に負けじとピカピカ光っているかのように綺麗に見えました。

まさに気分は最高!でした。travels208txt

好きなところでストップしては写真を撮り、子供に返り、時を忘れてドライブを楽しむ私たちに、爽やかな高原の風と秋の陽射しが優しく包んでくれました。

帰路に立ち寄った草津温泉の湯畑では、湯治客のお爺さんお婆さん達が、一風呂浴びたのか濡れ手ぬぐいを頭に乗せて、のんびりと日向ぼっこで一休みしていました。

西の河原では湯滝に打たれているおじさん達の姿など、硫黄の臭いと共に、のどかな湯治場の風景に、のどかで心の和む思いでした。

写真の被写体を見つけて、ついついエスカレートしてしまう、そんな私に「時間など気にしないで!」「傑作が撮れるまでがんばってよ!」と声援しながら、待っててくれました。

贅沢なドライブと皆の温かい心のおかげで、私はいつまでも心の趣くままに思う存分写真を楽しむことが出来ました。

それから間もなく父の病で写真家への道は閉ざされた私も、美代子さんたちも、結婚や仕事などで、住所も変り、お互い日々に追われ年々会う機会は少なくなりました。

心に焼き付いて離れないあの楽しかったドライブ!。

4人してまた行こうね!と約束したあの日! 懐かしく思いつつも、時の流れは速くて、瞬く間に50年もの歳月が経ってしまいました。

あの時のドライブで写した、みんなの素敵な笑顔の写真が、海を越えてアメリカまでいくことが決まった時、無性に会いたくなりました。

「やっと夢が叶ったよ!」と開口一番に侑子さんに報告したくて、喜び勇んで尋ねてみました。

しかし、そこには昔の家もたばこ屋さんも跡形も無く、侑子さんの消息さえも分からない無常な現実を知るのみでした。

「夢が叶ったら、必ず酒田へ連れて行くからね!」と励まし約束してくれた侑子さんの笑顔を思い出し、元気でいてね!と願いながら、今はその日の来るのを夢に描いています。