バスガール

戦後も昭和30年代に入ると日本の復興も盛んになり、活気に満ちてきました。

色々な分野で女性の社会進出も盛んになり始めました。

その中でも紺の制服に白い手袋をして颯爽と働いているバスガールは若い女性の憧れでした。

彼女達をモデルにした歌や映画も封切られ、其の中でも、桐生出身の歌手の初代コロンビアローズが歌った「東京のバスガール」が大ヒットしました。

workingbustxt♪「私は東京のバスガール~、発車~オーライ!明るく明るく生きるのよ~」♪と全国各地、町の巷で歌われ若い女性たちの間では、憧れは東京に行きたい!バスガールになりたい!との夢が大きく膨らんでいきました 当時、桐生~東京駅八重洲口まで太田経由と東足利経由の2路線で東京行きの直行バスが東武鉄道バスにより運行されていましたので、大変便利でした。

地方でも東京行きのバスに勤務できることは、憧れでもあり花形だったようでした。

今日こそは、一人で東京へ撮影に行ってみようと、本町3丁目のバス停から、少々不安を抱えながら乗ったときのことでした。

座席に腰掛けたとたん「あれツ!利江ちゃんじゃないの?」と突然、驚いたような声と共に、綺麗にお化粧した紺の制服が良く似合っているバスガールさんが近寄ってきたのです。

とっさの事で戸惑いながら、じっと顔を見ているうちに中学校時代の同級生の幼顔が浮かび「えつ!もしかしてみっちゃんなの?」と思わず大きな声を出してしまいました。

「そうよ!驚いたでしょう!私バスガールになってたのよ!」と懐かしい話し方に幼き頃のみっちゃんが甦りました。

「しばらくね~!!驚いたわよ!あんまり綺麗になってて、すっかり見違えちゃって、判らなかったわ!」とバスの中での再会に辺りもはばからず、懐かしさに、手を取り合って二人して興奮してしまいました。

「どこまで行くの?」と聞かれ「三越前まで」と答える私に、パチンと慣れた手つきで切符を切り「はい!」と渡してくれました。

一人旅の緊張した私の気持ちを解すかのように「今日は東京まで一緒に行けて嬉しいわ!」と私を見る顔に笑顔がこぼれていました。

揺れ動くバスの中で、明るくてきぱきと乗客の一人ひとりに接している、そのしぐさを見て私は心打たれました。

そして憧れの仕事に就職して、懸命に働いている女性の誇りと美しさに深い感銘を受けました。

感心しているうちに、バスは太田から熊谷~戸田橋をぬけて都内に入り巣鴨~板橋~後楽園前を通り、3時間余りで日本橋三越前に到着し、「またね!」と再会を約束して別れました。

あれから何度も東京行きのバスへ乗りましたが、彼女に会うことができませんでした。

冬の寒い日に、一生懸命バスの雪かきしているバスガールを見つけ、あわてて飛んでいってみると別の人でした。

こんな日は彼女もこんな風にウインドウの雪を掃っているのかな?などと考えながら、雪の中を撮影したときもありました。

昭和40年頃になると道路事情も変わり、渋滞などで東京行きのバスも次第に廃止となり、現在では桐生の町からは東武バスも無くなり、バスガールのみっちゃんに会ったのは、たった一度の思い出となりました。

再会できたのは、あの日から30年後の中学の同窓会でのことでした。

あの頃、お客様の為に、バスの床磨きまでしていたと言っていたバスガールのみっちゃんは、一男一女の母となり、素敵なご主人と幸せな家庭を築いている立派な主婦になり、この日も明るく輝いていました。